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花のお堂 [ArtとCulture(花音舎)]

気が付いたら、年があけていました。お雑煮もどきを今も食べている私です。


旅日記の続き。ガイドさんに高野山のほとんどを説明頂きました。「ブラタモリ」みたいに、クイズ形式でなぞ解きしがら、教えていただき、とっても楽しかったです。高野山には、強烈に弘法大使 空海が残したかった密教の世界が広がっていました。その中で、一番はじめに案内頂いた女人堂。江戸時代まで、女人禁制だった高野山に、女性の結界所として、弘法大師 空海に拝みに来た女性、高野山で修行する家族を心配する女性などが集ったお堂です。

この女人堂をアレンジして家シリーズ刺しゅうを展開してみました。いつものように、裏を渡らせないステッチをいろいろ工夫してみました。高野山には、空海がお好きだったというお花を描いた四季曼荼羅のお部屋もありました。今回は、ボタンと藤の屋根にしてみました。

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これが本物の女人堂です。この後、金剛峯寺をはじめ、根本大堂・・・霊宝館、最後は授戒に参加して、生きている空海が、お話ししているような体験をしました。

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何度も火災にあい、歴史は古いけど、建物は新しいものが多かったです。なんとか火を防ぐために廊下を川に見立てたり、龍(水の化身)を配置した石庭や彫り物など、火が一番の難だったことがうかがえます。


この階段は、やんごとなき方の籠が通りやすいような傾斜になっているそうです。紋は三つ巴と、秀吉の桐の紋とで1セットだそうです。秀吉は、木食応其(もくじきおうご)僧侶の説得により、焼き討ちをやめ、保護してくれたそうです。秀吉っていいことしたんだな~としみじみ。^^そのあとの徳川関係のものは、超豪華でした。

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ぶっちゃけ寺で、回していた「六角経蔵」軽かった。^^

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霊宝館にて、唐時代に空海が持ち帰った、携帯型の「諸尊仏龕」を見ました。折りたたむと仏塔形になっている。唐に渡り、恵果阿闍梨にあい、正式な8代密教継承者となり、持ち帰ったものです。命がけの仏教伝来ですね。

空海は、幼少より学べるだけ学んで、仏教の道を選び、密教を知りたくて、唐に渡り、日本に持ち帰ってきました。その後の鎌倉時代の宗派にも、大きな影響を残しました。他、仏教だけでく、教育、医学、自然科学(地質学)、書、語学、詩、著作・・・スーパーすぎる能力です。密教の三蜜(口密、身蜜、意蜜)により、脳の高速かつ冷静な最高状態を引き出す方法を教えてくれてます。即身成仏として、自分の努力で、最高の自分を体験することを、導いてくれています。「すべての人が救われない限り私は祈る」として、今も祈ってくださっています。最澄に、「違うことは違う!!」ときっぱり断る面もありますが、優しくて、どんな人も受け入れてくれる方という印象です。一緒に胡麻豆腐を食べて、即身成仏のお話とかしたいですね~。

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